馬鹿ニヒルな事情なの

楽曲考察とその他雑記

アイカツ!「ダイヤモンドハッピー」考察

ダイヤモンドハッピー わか・ふうり・すなおfrom STAR☆ANIS
作詞:畑亜貴 作曲:石濱翔(MONACA)

 

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ダイヤモンドハッピー 歌詞「わか,ふうり,すなお from STAR☆ANIS」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

 

編成:

Vo,Gt,Ba,Dr,Tp

 

構成:

A-inter-B-C-D-inter-B-C-D-E-inter(Gt. Solo)-C-D’-outro

 

特徴:

・トランペットが入ることで、

この曲の多幸感や遠くまで飛んでいける感が補強されている。

OPということもあり、ファンファーレ的な景気づけにも一役買っている。


Signalize!では歌っていた神崎美月の不在。

同曲では「神崎美月を追いかける新人アイドル・ソレイユの歌」だったのが、

「一人前のアイドル・ソレイユの歌」になった。


・Aメロの「つかまなきゃね…Hi!!」やアウトロの最後のトランペット等、

二段飛ばしの勢いで駆け上がるメロディが印象的に使われている。

 

ここが聴きどころ!:

Signalize!との比較○


・空の上にあるもののモチーフの扱いについて


Signalize! では、ソレイユが目標とする神崎美月という「月」が「もっと高い空の彼方」にあることを、

「いいえ違うよ/僕の目にも見えた地の果て」と否定するところから始まる。


対してダイヤモンドハッピーは同じく1番冒頭において、

空の上にある太陽をスポットライトとして利用してさらに輝くダイヤモンドを歌う。


「憧れがゴール」という神崎美月ありきの状況から、

「憧れを原動力にして輝く」という自走するソレイユへと変遷しているのである。

だからSignalize!では歌唱メンバーだった神崎美月が、

ダイヤモンドハッピーでは抜けているのである。

 

・世界/現在/奇跡の獲得


Signalize! において「世界」という単語は、

「やがて生まれ変わる世界を/感じる予感の中で/移り変わる世界を/求める旅だね前進だ」のフレーズで二度登場する。

ここにおいて生まれ変わった後の世界は未来形で未知の状態であり、

さらに現在とは違う移り変わる世界を「求める」のだから、

やはりSignalize! において世界は不確定で、変革前の、まだ未到達の状態なのである。


それがダイヤモンドハッピーでは、

「熱く確かな世界動き始めた/そうだ私の世界」という表現で歌われている。

先述した「憧れ」を追いかける対象ではなく原動力として内面化したのと同様、

ソレイユは求める対象だった客体の「世界」を確かなものとし、

「私の世界」を確立させたのである。


また、Signalize! は上述のとおり未来を見ている表現が多いのに対して、

ダイヤモンドハッピーは「いまを逃げちゃダメだよ」や「動き始めた」という表現から、

座標が現在にあると読める。

つまり、「未来へ向かって走る歌」から、

「今まさに走り続けている」という変化を遂げるのである。


加えて、「奇跡」という単語の扱いにも同様のことが起きていて、

Signalize! 2番で「ふるえる程の奇跡を だから今は信じて」と、

これから起きる奇跡を待っていたのが、

ダイヤモンドハッピーにおいては

「無謀な挑戦 駆け抜ける勇気が/生まれてくる…どうしてさ?/きっと奇跡 私たちの奇跡」となっている。

すでに生まれた勇気の理由を、

「私たちの奇跡」とあとから所有格を付けて説明しているのである。

彼女らがそれまでの積み重ねから得られたものを、

Signalize!においてお守りのように信じていた「奇跡」と形容しているのではなかろうか。

 

・「夢」の変遷
Signalize! における「残酷な夢が夢で夢になるんだ」についての分析は、

前回のものを参照されたし。
ダイヤモンドハッピーでの「夢」の扱いを見ると、

「夢は運だけじゃなくて心のチカラ」と「夢は幻想(ファンタジー)じゃないよ希望のチカラ」の二節がある。

すると「夢」の要素は「心のチカラ+運―幻想(ファンタジー)+希望のチカラ」となる。

女児向けにわかりやすくするなら「心と希望で夢に向かって云々」くらいの構造でもいい気がするが、

やはりここでも運否天賦は大事なのだ。

アイカツの、特に星宮いちごの特性を鑑みるのであれば、

単純に運の良さがどうこうという話ではなく、

前を向いてチャンスを掴みに行く姿勢が人脈につながったりして運を呼ぶ、という意味合いなのではないかなと思う。

 

・これはどうでもいいんですが、Eメロの「ぶつかれば開くよ」のフレーズは、

運命のドアを開けていこうという文字通りの意味のほかに、

アイカツシステムでの衣装チェンジを彷彿とさせますね。

小技が効いているなと思いました。

アイカツ!「Signalize!」考察

Signalize! わか・ふうり・すなお・りすこfrom STAR☆ANIS
作詞:畑亜貴 作曲:NARASAKI

 

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Signalize! 歌詞「わか,ふうり,すなお,りすこ from STAR☆ANIS」ふりがな付|歌詞検索サイト【UtaTen】

 

編成:

Vo,syn,Dr

 

構成:

intro-A-B-C-inter-A-B-C-D-inter-C-D-outro

 

特徴:

・新規コンテンツの女児向けアニメのOPでいきなりセオリーに則らない曲(わりかし落ち着いた曲調のテクノ)を持ってくる制作陣の覚悟。

置きにいく気が一切なかったように思う。


・歌詞は希望にあふれている。でもそれだけではない。後述。

 

ここが聴きどころ!:

・「残酷な夢が夢で夢になるんだ」がパンチラインすぎてここだけ独り歩きしてる印象であり、

このフレーズが一番難解であることにも異論はないが、

全体を俯瞰したときの初期アイカツ像(神崎美月とソレイユの関係)の表現そのものにこの曲の肝があると思っている。


まず、歌唱がわか(いちご)・ふうり(あおい)・すなお(蘭)・りすこ(美月)の4人いるにも関わらず、

りすこ(美月)のソロパートがない。

シングルのCDジャケットにも不在である。

参照:

Signalize!/カレンダーガール - TVアニメ『アイカツ!』 - わか,  ふうり,  すなお,  りすこ,  STAR☆ANIS | Lantis web site

 

神崎美月が歌うのは、

CメロとDメロのユニゾンを除けばサビ前の「挑戦待ってるよ」と「絶望なんてしない」だけである。

挑戦を待ち受けることができるのは、スターライト学園の中では絶対女王神崎美月をおいて他にいない。
(参考:Signalize! | アイカツ!歌詞パート分け


(ここはただの邪推になるが、「(もう)絶望なんてしない」も神崎美月が歌っているのは、

ソレイユというフォロワーが現れるまでは神崎美月は絶望していたという風にも読めるのではないか。

自分に憧れるばかりで食らいついてこようとしなかった他のアイドルたちに)

 

・逆に言えば、AメロBメロはソレイユの物語である。つまりは、神崎美月に憧れて追いかける新人アイドルの。
ただし、ただ憧れているわけではない、というのが重要な点である。

スターライト学園に在籍している生徒の中にすら、

神崎美月に憧れているだけで実際は手が届くわけがないと思っているアイドルも多いのではないか。

(だから神崎美月とスターアニスを組める星宮たちと、そうでない他のアイドルが生まれる。

もちろん、神崎美月を介さずとも自分の道を決めたアイドルの存在も忘れてはならない。)


そこへ来るとソレイユのパートは、

初っ端から「答えはもっと高い空の彼方/いいえ違うよ/僕の目にも見えた地の果て」と始まる。

ソレイユが3人とも神崎美月にあこがれてスターライト学園に通っていることはアニメ本編で何度も描かれていて、

アイドルとしてのひとつの「答え」が神崎美月にあることは間違いないだろう。

そしてその答えが「高い空の彼方」にあるかというとそうではなく、

「僕の目にも見えた地の果て」にあるというのだ。

地の果てというからには相当遠いのだろう。

しかし、空を羽ばたくことができなくても、走れば届く地上にある。

ことあるごとに「アイ!カツ!」の掛け声とともに走り込みをしていた彼女たちならばなおのこと、

現実的に手の届くところに「答え」があるという明示からこの曲は始まるのだ。

 

・また、ソレイユたちにはそれでも常に少しの不安がつきまとっているようにも見える。

「今を信じて」と自分に言い聞かせるということは、

今現在は結果が出ていないけど、まだ精確にはつかめていない「漲る何か」があるから、

不明確な未来のために今を信じようとしている、というように読める。

あるいは「今日は青い迷路だった」りもする。

範囲を「今日」としているのは、何をしてもうまく行かなかった日に眠りにつく前の反芻のようにも読める。

それに、「残酷な夢」ときた。

決してただうまくいくだけの物語ではない。

 

・「残酷な夢が夢で夢になるんだ」については解釈が本当に分かれる一節だと思うが、

三度出てくる「夢」はそれぞれ別のものを指しているのではないかと考えている。
(そもそも「残酷な夢①が夢②で夢③になるんだ」のフレーズの主述を整理すると、

「夢①が夢③になる(夢②によって)」である。)


まず「残酷な夢①」は未来予想図としての夢の側面が強い。

先に少し書いた、希望を持っていてもつきまとってくる小さな不安の延長線にあるもので、

「こうなってしまったらどうしよう」というネガティブな未来を予想したものである。

神崎美月みたいになれなかったどうしよう、

なんにもうまく行かなくてアイドルを諦めることになったらどうしよう。

そういう不安が、考えたくなくてもよぎるという、

具体的な「こうなりたくない」という逆説的な「夢」。


二つ目の「夢②で」は、一つ目の「残酷な夢①」を打ち消すパワーをもったものである。

つまり、夢①の反証となる、「こうなりたい」という将来の夢=目標だと読み取れる。


夢②によって、夢①は夢③になる。

残酷だった夢①が、ポジティブな夢②のパワーで打ち消されて夢③になる。

さすれば、夢③は「眠っているときに見る夢」の意味であり、

眠りから目覚めて「なあんだ、残酷な夢は現実ではなかった」と安心できはしないか。


つまり、「未来が暗いかもしれないという不安(=残酷な夢①)があるが、

(神崎美月を中心とした)将来の具目標(=夢②)があるので、

夢①という未来に対する不安を現実に持ち込まない(=夢③)ことができる」

という読み方ができるのである。

 

・頑張れば夢は叶う、というだけの話で終わらないのが畑亜貴の性格だとも思う。
というのも、「Chance for me」とか「ふるえる程の奇跡」とか「Get a luck」とか「take a chance」とか、

チャンスや運や奇跡をつかむことができる、というところまで含めてできないと夢は叶わないよ、と言っているようにも聞こえるからである。
さらにDメロで「Do the live(love), take a chance! Do you know, do you know?」と問いかける。

このDo you know?がチャンスをつかむことにまでかかっているのは、

まだ歩んできた人生が少ない女児だけに向けるには含みが大きくないか。

 

・とはいえ、

1番Cメロで「君と向かう場所はどこだろう/眩しい希望の中へ」「向かう場所はミライの/僕らの希望の中に」と、

まだどこにあるかも判然とせず向かう途中だった「希望」という語が、

2番では「僕らは希望の中さ」ときちんと中まで到達できているので、

この歌はきちんと前進できている彼女たちの歌であると言えるだろう。


そうすると落ちサビで再度未到達の希望に戻るのは、

これから希望を手にしようと努力を始めるべき聞き手への念押しのようなものかもしれない。

これは畑亜貴の性格を踏まえた上での意地悪な見方である。

1番ではあったサビ頭の「君と」が落ちサビでは削られているのは、

聞き手が自分ひとりで頑張るしかないよ、

という畑亜貴のメッセージだったらいいな(そして同時に、意志の弱い聞き手としてはとても嫌だな)、と、

畑亜貴の紡ぐ詞を愛する身としては思います。

七花少女「花咲キオトメ」考察

花咲キオトメ 七花少女
作詞:カナボシ☆ツクモ 作曲:MICON STUDIO

 

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七花少女 花咲キオトメ 歌詞 - 歌ネット

 

編成:

Vo,Gt,Ba,Syn,Dr

 

構成:

intro-A-B-C-inter-A-B-C-inter-C’-C’’-outro

 

特徴:

・音の作りとAメロの半音の使い方が昭和アイドルをイメージしている


・ラブソングと見せかけて、ラブソングではなくかわいい少女の自意識開花ソングでは?後述


・歌詞がすごい。散文的というか、短歌的というか。

同じメロディなのに1番と2番で行数を揃えないことができる勇気。

「すぐに間違い探しを始める私」とか「前髪を雑に下ろせば/少女A役」とか、その表現によってシチュエーションに立体感が生まれている。


・Aメロ、Bメロ(半音多用で不安定感?)で自信のなさ、Cメロでポジティブを描き、ブロッキングがめちゃくちゃ単純。

アイドルグループのデビュー曲としては、変に複雑なのよりこれが正解なのでは。


・「花☆咲☆咲」で突然ハジケてくるのびっくりするけど、桜の五枚の花びらの表現ですかねこれ。

星マークだとすると全体の雰囲気にそぐわないと思っていたけど、桜の花の簡易表現だとしたらしっくり来る。

 

ここが聴きどころ!:

・告白されたところから話が始まるのに、告白してきた相手について一切の描写がないのがすごい。

それとは対象的に、自分を形容・比喩する言葉には事欠かない。

「飛べない鳥」「小さな蕾」「少女A役」「脇役」「咲けない花」そして「花咲キオトメ」と、ほぼ全編が自身を形容する言葉でこの歌はできている。

もちろんそのきっかけとして「あなた」は絶対に必要なファクターではあるのだけど、告白されて真っ先に考えることが「自信のない私」についてであるところ、とても中高生の恋愛という感じがします。

あるいは対象を具体的に限定せずに、定義されない曖昧な恋心を歌うのは昭和アイドル的とも言えるか。

だからこそデビューしたての若いアイドルにはふさわしい歌だとも思う。

これはラブソングではなく自己肯定感アップしましたソング。


・逆接(でも、だけど、なのに)が多いのも自己肯定感低い私の演出に一役買っている。

間奏後のサビでは順接しか使っていないのもとてもわかりやすい。

森口博子「水の星へ愛をこめて」考察

水の星へ愛をこめて 森口博子
作詞:売野雅勇 作曲:ニール・セダカ

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森口博子 水の星へ愛をこめて 歌詞&動画視聴 - 歌ネット

 

編成:

Vo./Cho./Dr./Syn.

 

構成:

intro-A-B-C-間奏-A-B-C-間奏-C-outro

 

特徴:

・35年前の曲とは思えない色あせなさ。楽器の編成自体はシンセサイザーによって昭和っぽく聞こえるけど、歌が入ったとたんただの昭和歌謡ではなくなる。アメリカ圏のメロディだからなのか。サビ以外の部分もメロディの強度が高い。


・メロディの切れ目が少ない。普通の(?)曲が詩の改行くらいの頻度でメロディが切れているイメージだとしたら、これは散文くらいメロディのまとまりが大きい。


・若かりし森口博子の儚い歌声と祈りのような歌詞の相性がすごくいい。最近本人がセルフカバーを出してMVも公開しているが、歌唱力が上がりまくって原曲よりとんでもない迫力になっている印象。

 

ここが聴きどころ!:

・1番Aメロの「蒼く眠る水の星」が2番Bメロの最後で眠りを解かれたり、難破船が祈りによって帆を上げることができたり、モチーフのしりとりが巧妙である。こういうのって同じメロディ部分でやりたくなる傾向が強いのに、それをしないのはさすが当時の売れっ子作詞家の仕業だなと…。歌詞をひとつながりの文章だと強く自覚して歌詞を書くことと、単語のパズルとして歌詞を書くことは結構別物の作業なのでは。


・若かりし森口博子の声で「お前」って歌わせるところにぐっと来た。(「お前に逢いたいよ」はあくまで伝聞ですが。)視点が宇宙とか永遠とかであることをガンダム関連のモチーフだと安直に解釈することは可能だが、タイアップ作品と切り離して曲単体で考えた場合、何かの困難で散り散りになった人間たちがそれでも希望を、祈りを、優しさを忘れずつながろうとしているのを宇宙から見ている女神が歌っている歌なのかなと思いました。

アーバンギャルド「シンジュク・モナムール」考察

シンジュク・モナムール アーバンギャルド

作詞・作曲:松永天馬

 

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アーバンギャルド シンジュク・モナムール 歌詞 - 歌ネット

 

構成:

intro-A-A-B-C-間奏-A-B-C’-guitar solo-key. solo-B-C-D

 

特徴:

・自殺志願の少女を女優に見立てたストーリーと、メインボーカル浜崎容子の演技がかった歌声。

・インスト部分もメロディも、全体的に段階を踏んで音が高くなっていくところが多い。後述。

・タイトルはアルカトラス「ヒロシマ・モナムール」が元ネタか。

 

ここが聴きどころ!:

・松永天馬の詩は同じ音をしつこく繰り返すことで気持ちよさを生むことがあり、この曲の1番Aメロはその典型。

 

・モチーフの展開がうまい。

自殺志願とは書いたが、四月馬鹿だの悲劇のヒロインを演じるだの、要は死にたい死にたい言っているけど生きてる少女の、狂言自殺の話。(狂言も演劇のひとつである。)

 

紅テントは唐十郎が新宿は花園神社に立てた芝居小屋。

天井桟敷は劇場の後方最上階の安い席であり且つ寺山修司がやっていたアングラ前衛演劇集団。

屋上がステージだから飛び降り自殺を想定している。

天使だから空から飛ぶ。

同じ形のまま音が高くなっていくメロディモチーフを階段に見立て、屋上というステージにたどり着く。

キーボードソロで高音まで上り詰めたあとのBメロは、ライブを見なくても浜崎容子にピンスポが当たる絵が見える。

 

そして、そのキーボードソロ後のBメロで少女は「幕が降りるのは早い」として死ぬことをやめる。

(眼下に広がる街がまるごと劇場であることに気づき、自分はその劇場で女優として演じ続けることにした(=死にたい「わたし」そのものとして生きていかずとも、つらくなくなるような嘘をつきながら生きていけばよいと気づいた)という解釈はどうか。)

 

死ぬことをやめたから背中の翼は抜け、代わりに桜が背中に咲く。

遠山の金さんからの引用だとすると、桜は生きていく強さの象徴か。

加えて、(死ぬことをやめて)花形女優として咲くことを選んだから桜が背中に咲いたのか。

 

・松永天馬の歌声が入っている部分の歌詞を一部ピックアップする。

 

いっそ春でも売りましょうか 誰かの命(ハート)を盗りましょうか

 

シンジュク・モナムール
生きてるうちよ 死んだら負けよ それだけよ
飛んでくれるなお嬢さん 背中の翼が泣いている

 

幕が降りるのは早い

 

シンジュク・モナムール
信じてくれよ 傷ついてくれ 泣いてくれ
嘘をついてよ お嬢さん 最後の最後まで

 

シンジュク・モナムール
さよなら三角 またね新宿

 

こうしてピックアップすると、少女の自殺を止めたい誰か(きっと“観客”)の声であると推測できる。

一番のサビ前の「演じて悲劇のヒロイン」は浜崎容子一人で歌っているのに対し、二番サビ前の「幕が降りるのは早い」は松永天馬の声が添えられている。

1番Aメロで、死にたいと言ってるのに急に売春しようかなとか誰かのハート盗んじゃおうかなとか、やけっぱちではあれ生きる前提のことに思考が飛んでいるのは、松永天馬の声が少女の気を死ぬことからそらしているからではないか。

 

何よりサビである。

「お嬢さん」という語りかけ。

「死んだら負けよ」「飛んでくれるなお嬢さん」等、直接的に飛び降りをやめさせる説得のような文言。

「信じるもんか 傷つくもんか 泣くもんか」は口調的に頑なな少女の駄々であり、これ以上傷つきたくない、泣きたくないという死にたい理由だと思われ、それに対し「信じてくれよ 傷ついてくれ 泣いてくれ」と駄々をひとつひとつ諭していく観客。

その観客は、「最後の最後まで」「嘘をついて」もいいから、これからたくさん傷つくしたくさん泣くだろうけど、「この世は地獄だけど」、少女に「信じてくれよ」、そして生きてくれと懇願する。

 

最後の「さよなら三角 またね新宿」の下がっていく音階を、屋上からの階段を降りて平坦な新宿の地上を歩いていったような音階と解釈すれば、少女は観客の説得を受け入れ、死ぬことをやめたのである。

 

アカシック「8ミリフィルム」考察

8ミリフィルム アカシック

作詞・作曲:理姫

 

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アカシック 8ミリフィルム 歌詞 - 歌ネット

 

構成:

intro-A-A-B-C-A-B-C-間奏-C-outro

 

特徴:

・Vo理姫の声がいい。甘えたギャルの声のまま力強く歌う技術。
・Bメロからサビに入る前の音程の落ち方、からのサビに入るや上下に揺れてから感情的な高音。
・歌詞中でのストーリーの展開のさせかたがうまい。後述。

ここが聴きどころ!:

アカシック「8ミリフィルム」:馬鹿みたいだった恋のラストシーン

 

 8ミリフィルムの歌詞を要約すると「好きだったけど別れてあげるよ(強がり)」になる。

圧縮するとこれだけ陳腐になるストーリーを、直截的なダサい言葉選びを避けて、端っこの情報を丁寧に拾うことでこの歌詞は成り立っている。


 直截的な言葉を避けるという工夫の最たる点は、一番二番ともにBメロで出てくる「赤」であろう。

一番での「指にキラキラまとわりついて見えたのに/赤じゃなかったの」という歌詞によって、指にまとわりつく赤いもの→運命の赤い糸(そして、この主人公が別れた恋人は運命の人ではなかったという結論)というイメージを、「運命」という言葉を避けて導き出している。

その上で二番の「地図にベタベタ引いて見たい線の色は/赤しかないな」を見てみると、地図という広範囲を示す紙面上に赤い線を引きたいという願望=遠くにいる運命の人と赤い糸によって結ばれたい、運命の人と出会いたいという願望が主人公にあることが見て取れる。


 この願望があるにも関わらず、なぜ主人公(あるいは作詞者理姫)は「運命」という言葉を使わなかったか。

それを探るために、タイトルとサビの内容について考える。

すなわち、「8ミリフィルム」「ラブストーリー」「映画」「ステレオタイプ」という単語がサビに集中している点である。

8ミリフィルムによる映画は1970年代が最盛期とされ、1989年生まれという理姫の年齢から見ても8ミリフィルムというタイトルは古い映画を指しているのであろう。

オールドタイプで「ステレオタイプ」な「ラブストーリー」というのが、サビで展開される「映画」像である。


 では、この「映画」に対して主人公はどのような感情を抱いているか。周辺の歌詞を引用するとこうである。

8ミリフィルムのように綺麗なもんじゃない」
「ラブストーリーはこんな嘘つき趣味じゃない」
8ミリフィルムじゃないしグサッといきたい」
ステレオタイプな未来は全然趣味じゃない」

どれも文脈的に主体は「あたし」なのだが、すべての歌詞に否定形が入っているところに注目すべきだろう。

「8ミリフィルム」=綺麗でグサッとはいかないものであり、8ミリフィルムじゃない「あたし」=綺麗じゃないしグサッといってしまいたい。

(何をどう「グサッと」いくのか明言はされていないが、綺麗な行為でないという予測がつく。)

「ラブストーリー」は嘘つきである「あたし」を好まず、「あたし」は「ステレオタイプ」な未来を好まない。

つまり、「あたし」と「映画」は相反するものであるのだ。


 ところで、「ステレオタイプ」な「ラブストーリー」というものをもう少し詳しく考えてみると、やはりそこには「ハッピーエンド」というものが存在するのではないか。

運命の人がいて、いろいろあるけど結ばれる。

観客にわかりやすく示すのであれば、結婚という形もとるだろう。

そういう「映画」的「ラブストーリー」と、主人公は相容れない。

少なくとも今回の恋愛では、主人公は「映画」的になれなかった。

「赤じゃなかったの」である。

「べた惚れ」で「超好きだった」恋人は、それでも運命の人ではなかった。

それを認めるにはまだ未練の残る状態であるから、「運命(じゃなかった)」と断言ができず、間接的な表現をしたのではないだろうか。


 Aメロに三度「馬鹿」という言葉が出てくる。

「馬鹿みたいだったわ」「馬鹿ロマンスに見えたのに」と、恋人と別れる前の自分に対してその単語を使っている。

「お洒落なセンチメンタルとか意味ない」と言いつつも「馬鹿ニヒルな事情」により、「危ない事はしないでね」「悪い事はしないでね」と恋人のこれからの身を案じている。

好きなまま別れる恋人への、センチメンタルな未練がまだまだあるくせに、その思い出を「馬鹿みたいだった」と言って強がっているのだ。


 さらに、二番サビに「誰とも結婚なんてしないでねさよならだけして」という歌詞がある。

先述したとおり、「結婚」は「映画」的ハッピーエンドであると言える。

それをしないでくれ、運命の人を見つけないでくれ、という主人公から恋人への懇願が、未練でなくて何であろうか。

ラスサビでも、わざわざメロディが違うところで「誰かと結婚なんてしないで忘れないで」と念押ししている。

(ここの「忘れないで」は、「(私のことを)忘れないで」とも「(結婚しないでっていう私の願いを)忘れないで」とも取れるが、どちらにしたって主人公との恋愛をこれからも引きずってほしい、という仄暗い願いではないか。)

さらに「正直言うけど/ステレオタイプな未来は全然似合ってない」と重ねることで、恋人にも「映画」的恋愛をしてほしくないという思いを言い含めている。


 さて、ここまで書いておいて何だが、「超好きだった」恋人と「映画」的「ラブストーリー」を編むことができなかった主人公は、サビの最後で「映画」を見るのである。

ステレオタイプなラブストーリーを見るのだろう。

フィクションみたいな運命に憧れて、フィクションみたいな恋愛に失敗した彼女は、フィクションみたいな映画で慰めを得るのである。

一番サビのラストでは改行されない「映画見るわ」というフレーズは、ラストのサビでは改行される。

映画みたいにうまくはいかない主人公は、それでも映画を見ることによって、今回の恋愛に区切りをつけるのである。

 

米津玄師「感電」考察

感電 米津玄師

作詞・作曲:米津玄師

 

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米津玄師 感電 歌詞 - 歌ネット

 

構成:

 intro-A-B-C-D-間奏-A-B-C-D-E-E-C-C’-D’

 

特徴:

・TBS金曜ドラマ「MIU404」主題歌。「警察官」要素をわかりやすく歌詞に乗せている。

(ex.行方は未だ不明、困っちゃったワンワンワン・迷い込んだニャンニャンニャン(=犬のおまわりさんオマージュ)、動機は未だ不明、落とした財布、回り回って=おまわりさん)

・Eメロに半音が多いことで不安定感を表しているか。

・MVの情報量の多さ。楽曲単体で聞いたときよりも、映像+楽曲の複合で見たときに立ち上がってくる意味がある。後述。

 

ここが聴きどころ!:

・まずタイトルが「感電」だが、歌詞に感電という単語は一度も登場せず、しかし「稲妻の様に生きていたいだけ」にあるように「稲妻」は出てくる。

稲妻のような人間と、稲妻に感電させられる人間の物語であると読める。

 

・歌詞を読むと語り部は稲妻側の人間である。

稲妻から感電側への呼びかけとして「兄弟」「相棒」があり、また「僕ら」という主語がそこそこ使われていることからして、稲妻から感電への思い入れは強いであろうことが読み取れる。

(ただし、MVでは稲妻を車内から見つめる感電の視点で撮られていることにも注目したい。映像によって双方の視点が担保されている。)

また、「お前はどうしたい? 返事はいらない」という節から、稲妻の感電に対する性格を見て取れる。

「どうする?」ではなく「どうしたい?」なのは、一緒に行動する前提が含まれていると読めるか。

 

・思い入れは強いが、それが単純な好意で片付くものでもないようだ。

たとえば「漫画みたいな喧嘩しようよ」というところから、愛着と暴力の区別がついていない可能性があることが読める。

それは周囲の環境が「正論と 暴論の 分類さえ出来やしない」し「真実も 道徳も 動作しない」からであり、そこで生きてきた人間はそれが当たり前であり、加えて彼らはそんなめちゃくちゃな環境を「抜け出し」て「何も考えない様」に「銀河系の外れ」まで逃げ出したいのである。

そして、その駆け落ちにも似た逃走劇は祝福されるべきものではなさそうだ。

だから彼らは「そして幸運を 僕らに祈りを」と明るくない前途に差す明かりを求めている。

 

・彼らはこの逃走に際して「目指すのはメロウなエンディング」だとしている。

メロウとは円熟した、あるいは豊かで柔らかいという意味があるが、ここまで物騒な単語が並んできた歌詞からすると随分な目標である。

「きっと永遠が どっかにあるんだと」彼らは一緒にいられるメロウで永い未来を探すが、探し回る先は「明後日」の方向なのである。きっと決して見つからない。

 

・もう一つ注目したいのは「夜」という単語。

1番では「逃げ出したい夜」で「イカれた夜」とマイナスイメージを付与しているが、そんな夜でも「お前がどっかに消えた朝」よりましだとしている。

この「夜」は時間帯だけを限定するものではなくて、彼らが置かれたろくでもない環境を指しているのだろう。

そんな環境を感電と生きていくほうが、稲妻一人でその環境を脱するよりまし――稲妻は、そしておそらく感電も、二人で行動できないのであれば平穏な未来に用などないのである。

だからもしかすると、明後日の方向を探し回っているのもわざとかもしれない。

いずれ引き裂かれる予感がしているのなら、見つからない永遠を探している時間こそが彼らにとっての永遠の代替品であると。

 

・Eメロでがらりと雰囲気が変わる。

半音の多用もそうだし、「肺に睡蓮 遠くのサイレン/響き合う境界線」だけ唐突に体言止めになり韻を踏む。

歌詞表示は一度しかないが歌唱は二度繰り返される。

ずっと稲妻視点であったが、どうもここだけ話者が稲妻でなくなっているような気がする。

続く「愛し合う様に 喧嘩しようぜ/遣る瀬無さ引っさげて」まで含めて感電側の言葉と読むのはいささかこじつけだろうか。

 

・睡蓮の花言葉は「清純な心」「信仰」「信頼」だが、それを空気と同じく肺に入れているという点で、感電から稲妻への信仰/信頼が息をするように染み付いていると読む。

「遠くのサイレン」は冒頭に示したように警察官を連想させるものであり、かつ祝福されない彼らを追う敵の予感かもしれない。

 

・MVでは、この若干浮いているEメロ前後で車が煙を吐き、以後のサビではそれまでずっと車に乗っていた感電が外に連れ出されて稲妻とコーヒーカップに乗ったりする。

映像効果もかけまくりで、過度にキラキラした画面になる。

ここは演出からしても、彼らが求めた未来を描いた夢であろう。

また、MVで背景が遊園地になっている部分をピックアップすると、Dメロ以外のサビに加え、2番Cメロの「正論と 暴論の 分類さえ出来やしない街を/抜け出して互いに笑い合う/目指すのは メロウなエンディング」の部分も遊園地背景である。

つまり、「一瞬のきらめきを二人で食べつくす」「誰も追いつけないスピードで逃げる(ことが叶う)」「メロウなエンディング」「永遠を永遠に探し回る」などの、主人公ふたりにとってハッピーな、たどり着きたいと願う描写だけが遊園地で歌われていて、それ以外は明かりの少ない駐車場で歌われているのだ。

 

・ハッピーじゃないほうの駐車場背景でMVは終わる。

また、最初に出てきた犬がまた同じ様に車に飛び乗ってMVは終わる。

最初と最後に同様の表現が使われるのは、結局彼らが進めない、あるいは同じところ――駐車場――アンハッピー――をループすることのあらわれであろう。

返事を求めずに相棒と夜を逃げ続ける稲妻と、稲妻に打たれて信仰心のままについていく感電。

この曲はMVまで含めて、このどうしようもない二人の、いつまで続けられるかわからない、遊園地を目指す逃避行の物語なのである。